『田園の詩』NO.82 「手揉みの新茶」(1998.5.19)


 法事の席で新茶のことが話題になった時、隣に座った年配の方から、「私は、住職さんの
お祖父さんが、摘みたての葉をその場で手揉みのお茶にしてくれたのを戴いたことがある」
と聞かされました。

 「泥棒を捕えて縄をなう」というのでは間に合いませんが、「客人が来てから、新茶を摘み、
自ら手揉みのお茶を作って出す」方は、ユッタリした時の流れを感じ、心に残る趣があり
ます。味なことを先々代もしたものです。

 八十八夜を過ぎた今、ちょうどお茶の葉が出ているので、私も製茶に挑戦してみました。
小さな鍋で煎ったものを手で揉みます。それを何度か繰り返していると良い香りがしてき
て、何とかお茶ができました。

 味もまあまあいけます。ユックリできる友達が遊びに来たら、祖父と同じことをしてみよう
と密かに思っています。


       
     新芽を摘まないので葉はすぐに大きくなります。数枚とって手で揉んでみると
      お茶の香りがします。    (09.5.26写)



 ところで、当地では、どこの家でもお茶の木を畑の斜面などに植えています。昔はそれ
を自家で摘み製茶したものです。私も小学生の頃、学校から帰ると茶摘みを手伝わされ
ました。お茶を煎る煙と香りの中で、近所のおばさん達が忙しく立ち回っていたのを覚え
ています。そんな日が4,5日続きました。

 どこも同じ様子で、田植え前のこの時期、お茶づくりも結構大変な労働だったようです。
最近は自家でお茶を作るところはなく、製茶工場に持参して作ってもらうようになりました。

 私も帰郷してからの数年間はお茶を摘んでいましたが、もう止めています。遅霜の被害
を2年続けて受けてから、良い芽が出なくなったからです。祖父の代からの老木にはこた
えたのでしょう。

 また、工場に運ぶためには、5,6人の人出が必要で、1日で全部摘まねばなりません。
近所のおばさん達は高齢でもう頼めないのです。

 同じような理由で、当地ではお茶摘みをする家もほとんどなくなりました。自家で消費す
るものは何でも自分達で作った逞しい田舎の生活形態が、またひとつ消えつつあります。
                              (住職・筆工)

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